秋晴れの朝日の部屋での独り言
2012年 10月 21日
それもそのはず、昨日は夕方6時半には寝ていたんですから。
昨日は会社の仲間とバーベキューでして、朝早くから市場で買い物して準備して、調理して、片付けして疲れていたんです。
なんで私がこんなに活躍せざるを得なかったのか。
会社の若者が現場で動かないんです。気が利かない、先が読めない。体を動かさない。
(写真は今日のお話とは関係がありませんが、リトルワールドに建つ韓国の家です)
その前日の金曜日、会社で講演をしてもらったコンサルタント会社の社長が、大変興味深いことをおっしゃっていました。
「時代が変わって、社会が変わっている」
(このあたりだけだったらよくある陳腐な言い回しですが)
この一つの例として、「社員に提案型営業」をさせる時代は終わった。とおっしゃるのです。
提案型営業をするには、自分の会社の内容はもちろん、相手のこともよく知り分析し、顧客が何を本当に望んでいるのかがわからなくてはいけない。
顧客は実は「モノ」を買いたいわけではない。「解決策」を買いたいのだと考えるのが提案型営業です。
私もずっとこうあるべきだと思っていました。ここにこそ売れる仕組みがあると考えていました。
ですから営業社員に対しても、このようなことが実践できるように仕向けてきたつもりでした。
ところが、もはやそういう時代ではないと言われたのです。
講演が済んだパーティーの時、この社長に聞いてみました。
「私は提案型営業こそが営業の神髄だと思っていました、それがどうして古いんでしょうか?」
「確かに提案型営業自体が悪いわけではありません。しかしスクムビットさん、今までそのように指導されてどれだけ成功してきましたか?なかなか難しかったでしょ。
もはやこれを社員にやらせようすることが古いんです」
確かに言われる通り、提案型営業をやらせようとしてもなかなかうまくはいきません。
仕向けても仕向けても、現実にはこちらが考えるようにできない社員の能力の低さにため息をついていました。
自分が「近ごろの若者は・・・」という禁句が出そうになっているのをこらえて、これも自分が年を取ったせいであって経験の少ない若者にはもっと丁寧に教えてやらなければいけないのだと、今まで自分自身に言い聞かせていたのに。
しかしさらに社長は、
「最近の若手社員は、昔より自分で考える能力が低いのは明白です。ゆとり教育の問題なのかもしれません。日本の社会が低成長ながら安定しているせいなのかもしれません。
もうこういう過度な期待はやめて、若手社員にはある一定のマニュアル化した営業活動をさせるのが一番本人たちのやるき、やりがいをひきだすことができるんです」
本当でしょうか?最近の若者は昔より考える能力が低いなんて、なんとなく感じてはいても口に出せることではありません。私は
「それでは、彼らが育たないではないですか、本人たちも面白くないでしょう。一生マニュアル化した仕事をさせるのは気の毒ではないですか?」
社長は
「彼らは、それで役職が上がって給与が上がることよりも、ある一定の仕事の中で喜びを見出したいと思っているのです。
中には自分で一生懸命考えて期待に応えられる若手もいるかもしれません。しかしそういう優れた社員が50人か100人に一人いればその会社はラッキーです。そういう人が会社の将来を担えるのですから。
そして結果として社内での給与の格差は大きく広がっていくでしょう。ですから一時期流行っていた成果主義という制度も実は均一化した評価制度であって、もはや古いことなんです。
しかしそれもしかたありません。今の若者の社員の大多数は、苦労して自分で考えるということによる大きな報酬より、マニュアル化された仕事でのそこそこの給与の方を望んでいるのです。
その状態を早く認識して、誰にでも実行できる仕組みを会社(経営層)が考え、それを指示していく。
実際すでにそれを実行している会社がうまくいっているんです」
最近になって久しぶりのショッキングで納得させられたお話でした。
社会が変わっていることに気が付いていなかったのは、若手社員ではなく自分の方だったのです。
しょうがないことなんでしょう。しかしこれでは成長著しいアジアの国のエリートたちとの競争には敗北してしまいますね。
今朝、私の部屋には気持ちがいい朝日が差し込んでいます。
朝早くこの秋、初めてつけた暖房のエアコンも切って、これから今日一日何をするか考えましょう。
何もしなくてもいい、というのが休日の朝の嬉しいところです。
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by travel-arrange | 2012-10-21 08:42 | 名古屋 | Comments(4)
たまたまウチの若手は、自分で考えられるリーダーを軸にある程度の自由を与えてあげることで成長してる?気がします。
世の中的には考えられない若者が多いのかもしれませんね。
でも、私が若かりしころも先輩方が同じように思ってたのかなあなんて振り返って・・・ちょっと恥ずかしさを感じてます。(笑)
それより!カウンターキッチンがおしゃれですね。
ずっと以前のことですが、かみさんの前で「自分の会社」とか「うちの会社」と言って、「えっ?あなたの会社ではないでしょう?」と言われて、我に帰ったことがありました。
きめられた仕事をして「なんぼ」と、雇われているわけで、会社に身も心も買われてしまったわけではないことに、気がつきました。
タイの、しかも田舎の小学校4年しか卒業していないものに、教えられたような気がして、「会社人間」、「仕事人間」だったと、いまさらながら、内心恥ずかしい思いをしたものでした。
「若手が・・・」なんて言いたくないですが、自分が年を取ってきてしまっている以上しょうがないですね。
自分が若かったときにも、同じようなことを先輩から言われていたのでしょうけど。
スクムビット
自分の会社を自分のものように表現するのは、日本人特有の言い方なんでしょうか。
「私の(働いている)会社」であってカッコ内が省略されているのですが、実はそれだけではなく、会社への帰属意識の強さがそう表現させるのかもしれません。
スクムビット